魂のこもっていない、文書・帳票と用語

さて、ISO22000のコンサル先の現況ですが、どうにかこうにか手順書の類はできあがり、(私の納得行く完成度まで持っていくにはまだ手直しが必要だけど、それをしていたら間に合わないので、不適合がでないレベルまでで今回はヨシとということで)帳票の最終確認作業に入ってます。早くこれをやらないと、しくみとして回すことができないのですが、中身の良し悪しは以前に、文書と帳票、帳票内での用語に整合性がとられていないところが多々あり。例えば、内部監査の手順書で監査チームのリーダーを「監査長」として定めているのに、帳票には「主任監査員」と書いてある とか。そのため、これらの訂正もしつつ、帳票そのもののが適切であるかどうかをチェックしています。
しかしながら、こういう間違いがあるというのは、いかに自分の頭で考えて文書を作っていないかということの現れです。自分の頭で深くしっかり考えて作りこまくても、審査というその場は、乗り越えることができるかもしれませんが、そういう形でいると、いつの間にか形骸化してしまうのです。認証取得は誰のためでもない、自分達のために取得するのですから、魂のこもった仕組みにしてほしいものです。そういえば、昔こんな言葉がはやりました「仏つくって魂こめず」魂のこもった仕組みであるかどうかは、時間がたてば自ずとわかってくるものなのです。